人と接するとき、経営者として判断するとき、ふと「遠慮」について考えることがあります。
例えば、道を歩いていて人と同じタイミングになったとき、私はつい「お先にどうぞ」と譲ってしまいます。混雑している場所でも同じです。
こうした遠慮は、相手への思いやりや余裕の表れであり、良い意味での「遠慮」だと思います。
一方で、場を壊すかもしれないと考えて意見を言わないこともあります。
スポーツやスクールイベントで撮影に入る場合、ごく稀に保護者がカメラマンエリアにまで入ってきて撮影される場面があります。(本当はNGです)
販売の機会損失につながりますし、安全面でも気になるところです。
しかし、主催側に撮影に入らせてもらっている立場でもあるので、その場で直接注意はできません。
このときの遠慮は、相手に配慮する反面、自分や仕事の価値を守れない“悪い遠慮”とも言えるかもしれません。
結局のところ、遠慮は「善」でも「悪」でもなく、使い方次第なのだと思います。
相手を思いやって道を譲る遠慮は美徳。
しかし、自分の立場や責任を守るべき場面での遠慮は、時に損失を生みます。
経営者としては、遠慮を「優しさ」にするのか「逃げ」にするのか、その見極めが大切なのだと実感しています。