猟師について調べているうちに、「命の重み」というものを少しずつ感じるようになってきた。
私たちは、誰かの命をいただいて生きている。
それは動物に限らず、植物も、そして人とのつながりもそうだと思う。
家族もそう。
親も、仲間も、友人も、好きな人も嫌いな人も、
誰かが生き、働き、時間を使い、その結果として、いまの自分の生活がある。
今日の朝は卵を食べた。
昼には牛丼を食べた。
たんぱく源として、鶏と牛の命をいただいた。
食物も、穀物も、野菜も生きているものだ。
「いただきます」という言葉は、単なる挨拶ではなく、
“命をいただく”ということへの感謝そのものなのかもしれない。
千葉県では、キョンやイノシシの被害が増えていると聞く。
農作物を荒らし、田畑を壊す存在として語られることが多いけれど、
もともと彼らも、生きるために動いているだけだ。
それを「害獣」と呼ぶのは、人間の都合に過ぎない。
都会で暮らしていると、
命を「遠くのもの」として感じてしまう。
スーパーに並ぶ肉や野菜には血の気配もなく、
誰かが命を絶った瞬間も、手を合わせた祈りも見えない。
けれどその裏側では、
猟師が山に入り、農家が夜明け前から畑に立ち、
誰かが「命」と向き合っている。
都会に暮らす私たちこそ、
その距離を少しだけでも近づける努力をしたいと思う。
“いただく”という言葉の本当の意味を、
日々の中で忘れずにいたい。