<No,0424>撮らない仕事という選択

昨夜、ストックフォトの撮影のお誘いをいただいた。

一緒にスタジオを借りて、シェアしながら撮影しようという内容だった。 声をかけてもらえたこと自体は、とても嬉しかった。自分のことを思い出して、誘ってくれたという事実はありがたいし、素直に感謝の気持ちを伝えた。

ただ、今回はお断りをした。

正直に言うと、もう自分自身がストックフォトを撮るフェーズではないと感じている。 理由はいくつかある。

・参入者が非常に多く、クオリティの平均値が高い ・モデル代、スタジオ代などのコストは上がっている ・一方で報酬は決して高くない ・時間と労力に対して、今の自分のモチベーションが追いつかない

かつては白バックでのポージング撮影でも十分に成立していたけれど、今は市場も成熟し、求められる完成度は格段に上がっている。 その中で戦う覚悟や情熱が、今の自分には正直ない。

だから「やらない」という選択をした。

でも、このやり取りを通して気づいたことがある。 それは、このお断り自体が「撮らない仕事」のひとつだということ。

交渉というと、条件を詰めたり、金額を調整したりするイメージが強い。 けれど本質は、 「やらない」という合意を、関係を壊さずに成立させることでもある。

・相手の善意をきちんと受け取る ・自分の今の立ち位置を正直に伝える ・感謝を伝えた上で、関係性は閉じない

これはシャッターを切らなくても発生する、大切な仕事だと思った。

最近、少しずつ「撮らない仕事」が増えてきている。 それは衰えではなく、選択肢が増えたということ。

撮ることだけが写真の仕事ではない。 人と人の間に立ち、判断し、整え、余白を残す。

今はそんな役割に、静かに移行している気がしている。